日本を代表するレーシングドライバーの一人、佐藤琢磨。2002年から2008年までF1ドライバーとして活躍し、2004年のアメリカGPでは3位表彰台登壇を果たした。そして2010年から活躍の場をアメリカに移しインディカー・シリーズへ参戦し、2013年の第3戦ロングビーチでは同シリーズでの日本人初優勝を果たしているドライバーである。そんな佐藤琢磨にモータスポーツとの出会いとその飽くなき情熱を語ってもらった。

ーー 佐藤選手がモータースポーツに興味をもったきっかけとは?

モータースポーツとの出会いは、1987年のF1日本グランプリです。物心がつく頃からクルマが大好きだった当時10歳の僕を、親父が鈴鹿サーキットに連れて行ってくれました。クルマのことは年齢の割には詳しかったと思いますが、レースの世界はほとんど知らなかったので、まずサーキットの巨大なスケールに圧倒されました。そして目の前を猛スピードで走り去る、生まれて初めて見るレーシングカーがF1でしたから、その感動たるや衝撃的でした。その場に立ち竦んでしまったほどです。その後は大のレースファンとなり、モータースポーツに対して夢を抱くようになりました。

ーー そして1998年に四輪レースにデビュー。現在まで16年に及びオープンホイールカテゴリーにこだわり続ける理由とは?

やはり究極のスピードを求める世界がオープンホイールカテゴリーの真骨頂だと思います。誰よりも速く走り、頂点に立ちたいという夢。自分自身の限界への挑戦、すべてにおいて一切の妥協をすることなく、ピラミッドの頂点で、勝利を追い続けることこそが、僕がオープンホイールのトップカテゴリーにこだわり続ける理由です。

ーー レースキャリアにおけるハイライト、思い出に残っている1戦とは?

1戦に絞るのは難しいですね。キャリアの早期としては’01年マスターズF3、そしてマカオF3の優勝、初の母国グランプリである02年鈴鹿、F1初表彰台の’04年USGP、そして北米インディカーシリーズ初優勝の’13年ロングビーチ…思い出に残っている1戦というのはここに挙げた以外にもたくさんあります。しかし強いて選ぶとすればF1デビューイヤーの鈴鹿は、やはり忘れられない1戦かもしれません。鈴鹿で初めてレースに出会い、鈴鹿サーキットレーシングスクールを経てモータースポーツの世界へ飛び込み、そして夢だったF1ドライバーとなって母国グランプリに初挑戦した’02年の鈴鹿。真っ黄色に染まった観客席から、全53周に渡りファンの皆さんから大声援を受けて自己最高位の5位初入賞でチェッカードフラッグ受けたあのレースはすべてが特別な思い出です。

ーー 佐藤選手にとってモータースポーツの魅力とは?

レーシングマシンが走る異次元の迫力というのは、生観戦をしなくてはなかなか伝わらないでしょう。初めての観戦では、自分の予想を大きく超える驚きがあるはずです。絶対的なスピードと圧倒的な加速感、カラダが震えるほどのエグゾーストノート、空気を切り裂く音とオイルの焼ける匂い、サーキット独特の華やかな雰囲気…その迫力と臨場感はサーキットで味わえる最高の魅力です。高度な技術とテクノロジーの結晶であるレーシングマシンを、エンジニアが大量のデータから分析し、ドライバーと共同作業でセッティングを進め、メカニックたちが魂を込めてマシーンを作りあげる。そしてドライバーは全員の思いを乗せたマシーンを限界域で走らせる。多くの人の支えがあり、チームワークがあり、機械と人間がひとつになって、最速を目指し戦うのがモータースポーツです。そのコンペティティブな世界に魅了されるだけでなく、例えばレーシングカートなどで誰もがモータースポーツの世界を気軽に体験できるのも魅力のひとつでしょう。自らステアリングを握ると、ずっしりと重いステアリングに強烈なコーナリングGフォースが掛かり、地を這うように低い目線からは、想像以上のスピード感を体験できるはずです。そうしてドライバーの世界を少し覗いてから改めてレースを観戦すると、さらに面白さが倍増するのではないかと思います。あらゆる文化芸術やスポーツ観戦がそうであるように、モータースポーツも是非現地で生観戦してもらいたいと思います。

ーー 今後の目標や夢について教えてください

今挑戦しているインディカーシリーズでタイトル獲得を目指し、そして伝統のインディ500で優勝することが僕の夢です。ひとつひとつの目標を達成して、いつか夢を叶えられるよう、これからも挑戦を続けていきたいと思います。皆様のご声援をよろしくお願いします!

text=KURUMAG.
photo=Honda

※KURUMAG 4号(2014年9月16日発行)に掲載したものを再編集したものです